雨音ピアニスト
鳴り止まない雨音。彼女は病室の中で窓ガラスに弾ける音を静かに聴いていた。
思い出される悲しい夏の日。あの日もこんな雨だった。
コンクールの最中、病魔が彼女を襲った。受賞は目前だった。審査員はスタンディングオベーションの準備をし、観客は彼女の幻想的な旋律に釘付けだった。
しかし、次の瞬間。
客席の視線は椅子から崩れ落ちる彼女へ注がれることとなる。突然の出来事にホールは静寂に包まれた。そして、彼女が担架に乗せられると同時に騒めきへと変わった。
それから数年。体調は一向に良くならない。
変わらぬ現実に彼女から出るのは溜め息ばかりだった。鼻歌も忘却の彼方へと消えさった。
彼女の心の色を写しているのか、コンクールの日と同じように空は闇に包まれ、昼だということすら忘れてしまう。
そっと目を閉じ、降り出した雨の音に合わせて彼女は久しぶりに膝上で見えない鍵盤を叩いた。
ただの気まぐれ。もう弾くことはないと思っていたのに。
指の動きはあの時と変わらない。膝の上で十本の指が踊った。数年間踊ることを禁じられたダンサーは膝の舞台を飛び回る。
こんな状況でも点滴の向こうにピアニストの夢がちらつき、彼女は苦笑いした。
一際大粒の雨がガラスに打ち付けられたその時。奇跡は起きた。
膝の上で指を弾く度に雨が音を奏でたのだ。
『雨音ピアニスト』
彼女はそう呼ばれるようになった。
今や雨の日になると彼女の病院の庭に人集りができる。雨のメロディーを聞こうとファンが病院に詰めかけた。
悲しみと喜びを織り交ぜた旋律が、今日もファンの胸に響く。
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